健康経営のことはじめ ④ 経営を変える「鍵」は、時間の使いかた⁉
健康経営のプロフェッショナルである岡田邦夫さんを迎え、健康経営について教えていただく連載「健康経営のことはじめ」。第4回は、健康経営の3つの投資「時間投資」「環境投資」「利益投資」の中で、一番はじめに取り組んでほしい「時間投資」にフォーカスを当てます。健康経営の初心者であるトリクミハジメ&コトノワカバの二人と一緒に、今回も健康経営の学びを進めていきましょう!
組織で考える、健康づくりの「時間投資」
岡田邦夫(以下、岡田):以前、健康経営をはじめるにあたり、まずはどんなことから取り組むといい、と言ったか覚えていますか?
トリクミハジメ(以下、ハジメ):経営者自身が健康に目を向ける……?
岡田:それも、もちろんありますね。従業員に対してはどうでしょう?
コトノワカバ(以下、ワカバ):健康診断の受診でしょうか。
岡田:その通り。従業員全員に健康診断を受診してもらう理由は、第一に法令遵守のためです。そして健康診断を促す際に重要なのは、「勤務時間の中での受診」です。
ワカバ:確かに、勤務時間以外で健康診断を受けるには有給休暇を取るか休日を使うかですよね。そうなると自分の時間を使わなくてはならないので、受診に対して少しハードルは上がってしまう気がします。
岡田:80年代後半〜90年代前半頃は、健康診断は勤務時間ではなく、有給休暇か休日を使って行ってきてください、という中小企業は意外と多く存在していました。これでは健診受診率が下がってしまうのは当然です。法令遵守はもちろん、健診受診率100%にむけて、健康経営研究会が提唱したのが、勤務時間の中で健康診断を受けてもらうことだったのです。
ハジメ:勤務時間内に行っていいなら、プライベートな時間は守られますし、気持ち良く受診できます。
岡田:これが、健康経営を進めるうえで行う投資のひとつである「時間投資」です。本来は業務を行う時間を受診に当てるものなので実際に費用が発生することはありません。会社としても取り組みやすいと思いますし、勤務時間内の受診なので従業員も納得するでしょう。
ワカバ:出資が伴う施策は、リスクを考えるとすぐには決断しづらいのでは・・・
岡田:まずは「時間投資」に着目し、法令遵守に取り組むのが良いと思います。しかし、健康診断を受診しただけでは、単に投資をしたにすぎません。投資に見合う回収をしなければ、会社としては黒字にはならず経営を圧迫するだけです。健康経営における黒字とは、健康診断の結果が年々良くなっている状態を指します。それを実現するためには、次なる投資が必要です。
ハジメ:次なる投資、ですか?
岡田:健康診断を受診した結果、異常値が見つかれば再検査や治療が必要になりますよね。毎年受診していれば、たとえ病気になっても早期に発見され、軽症で済む可能性が高くなります。しかし、受診していなければ異変に気付かず病気が悪化し、重症化する恐れがあります。そうならないためにも会社は従業員には健康診断の受診と異常値が見つかった従業員には治療を促すことが大切です。例えばある会社では、治療が必要なのに病院に行かなかった社員には賞与をカットする、というペナルティーを設けて対策をしているところもあるようですね。
ワカバ:病院に行くのは嫌ですが、賞与カットはもっと嫌ですね(笑)。
岡田:このような施策は、「ディスインセンティブ」と呼ばれるもので、「もらえるはずのものがもらえない」となると「それはいやだ!」、それならもらえるようにするという心理が働き「健康診断を受診する」、「再検査を受ける」、「治療を受ける」という行動に出るものです。逆に、少しハードルの高い内容、例えば「がん検診を受ける」などは、報酬を与える「インセンティブ」を考えるといいと思います。
ハジメ:他にどのようなインセンティブがあるのでしょうか?
岡田:例えば、会社独自でヘルスケアポイントのようなポイント制度をつくって、それが貯まっていくのもいいかもしれませんね。何ポイントか貯まったら健康づくりに便利なアイテムをプレゼントするとか、提携しているスポーツジムやヨガスタジオがあれば、レッスンを受けられるなどでもいいかもしれませんよ。
このように「時間投資」をして、勤務時間内に健康診断、再検査、保健指導などを行えると、企業が従業員に対して、ある程度の強制力を発揮しつつ健康指導に繋げることができます。組織ぐるみで行う従業員の健康づくりこそ、健康経営なのです。
ヘルスリテラシーとワークリテラシーを高めるために
岡田:従業員むけに加えて、経営者や管理職にむけて「時間投資」を行うことも大切です。
ハジメ:どのようなことでしょう?
岡田:経営者にとって、健康経営における「時間投資」とは、普段利益を生むことを考えている時間の一部を、健康経営について考えるに時間に割り当てることであり、管理職にとっての「時間投資」とは、部下の健康状態を確認したり、話を聞くなどして、普段とは違う様子の部下をいち早くキャッチするために時間を使うことです。経営者も管理職も、勤務時間の中で健康経営にきちんと時間を割くと、健康管理や健康指導も仕事の一環であると強く認識できるでしょう。
ワカバ:経営者や管理職は、自分の業務の他に部下の健康管理も担っていますが、そこは業務として認識しづらいところではありますよね。
岡田:最近の管理職はプレイングマネージャーが多く、自分でも案件を抱えているため、部下をケアする時間があまり取れません。部下の教育に時間を割けないと、部下が育たないため返って仕事が増えてしまい、ご自身が過労になってしまうというケースもあります。また、仕事を覚えられない部下がメンタルヘルス不調を引き起こすこともあります。
ハジメ:自分の業務が忙しくて余裕がないと、イライラして部下への対応もちゃんとできないような気がします。……
岡田:管理職自身の余裕のなさがパワハラに繋がりかねないので、十分に気をつけなくてはなりません。管理職の役割は、自分を超える人材を育成することです。潰してしまっては、本末転倒です。管理職に部下の面倒を見る時間がないのであれば、経営者がきちんとその分の時間を確保できるようにしなくてはなりません。それも「時間投資」のひとつです。
ワカバ:経営者が、管理職の状況を理解しておくのは大切ですね。
岡田:健康経営では、ヘルスリテラシーはもちろん大事ですが、同時にワークリテラシーも必要です。健康管理と業務指導の両方ができなければ、部下の体もしくは心の健康が揺らいで負のスパイラルに陥ってしまう可能性が高くなります。そうならないために、経営者は管理職に時間のゆとりを与えなくてはなりません。一人の社員を一人前に育成するには、それなりに時間はかかりますので。
ハジメ:部下の健康と業務、その両方のマネジメントをしていかなくてはならないのは大変ですね。
岡田:もちろん管理職ばかりが頑張らなくても、従業員一人ひとりのヘルスリテラシーが上がって、自主的に健康づくりをするようになるといいですよね。そうなるために、企業によっては朝8時から健康に関する講演会をしているところもありますし、従業員を朝型にするために、無償で朝食を出す企業もあります。また、健康に関するEラーニングを労働時間内で行うことを推奨したり、メンタルヘルスマネジメント検定試験の受験料は会社が負担するなど、教育体制を後押しする企業もあります。
ワカバ:会社のバックアップがあると、健康に興味をもつきっかけになりますし、取り組みやすいですね。
岡田:健康経営は、従業員の健康状態を保持するとともに、ライフスタイルをよりよく導いていこうとする考え方でもあります。労働生産性が上がるのはもちろんですが、仕事以外の時間も含めて、従業員一人ひとりが健やかで充実した毎日が送れることを目指しています。
十分な休養の元に高い労働生産性は実現する
岡田:「時間投資」としてもうひとつ考えていただきたいのは、労働時間です。労働生産性は、長く働けば働くほど上がるかというと、そうではありません。
ワカバ:疲れてきたり眠くなったりすると、効率が下がってしまいますよね。
岡田:日本人は欧米に比べると睡眠時間が少なく、残業など仕事に時間を費やしがちで、労働時間自体は欧米よりも長いわけです。しかし、一人当たりの労働生産性は、日本が1時間あたり約46.8ドルなのに対して、アメリカは1時間あたり74.7ドル*1と、よく眠っている国の方が、労働生産性が高いわけです。
ハジメ:きちんと休養を取っている方が、労働生産性が高いんですね!
岡田:従業員が規定時間以上に労働すると、会社は残業代を支払いますよね。でも、生産性が落ちてしまうのであれば、損失が増えているとも言えます。同じ人件費がかかるにしても、生産性を上げて時間内により大きな成果を出して、生み出した利益から賞与を従業員に支払った方が、会社としてもメリットがあるとは思いませんか?
ワカバ:残業代が出るからとだらだら長く働くよりも、自分の時間を確保するために集中して仕事に取り組んだ方が、パフォーマンスも上がると思います。
岡田:スポーツの世界でも同じで、休みなく毎日練習していると、いずれ疲れが溜まって怪我につながってしまう。トレーニングにも休息日を取り入れると、結果としてパフォーマンスが上がった、というデータもあるといいます。人は機械とは違いますから、睡眠や休養はしっかりとって、健康な状態でパフォーマンスを上げて仕事をしたほうが、本人にとっても会社にとってもいいのです。
ハジメ:働き詰めで体調を崩してしまうと、休日も眠って終わってしまいますし、有給も病院に行くために使うことになってしまいますよね。健やかな状態なら、趣味や旅行に有給を当てることができます。
岡田:そんななか、日本人の働き方にひとつの課題が見出されました。いま、新型コロナウィルスの感染予防で在宅勤務を余儀なくされた多くの会社に対して、ある調査を行なったところ、「健康面はよくなったけど、労働生産性は落ちた」という結果が出たんです。
ワカバ:えっ!よく眠って健康になったなら、生産性は上がるはず、と思っていたのですが、違うのですか?
岡田:この結果は、自宅に快適に働く環境やIT設備が整っていない方がまだ多くいて、「在宅勤務」という働き方に慣れていなかったことが要因のひとつだと思っています。環境が整い、「在宅勤務」という新しい働き方に慣れれば、欧米並みの高い労働生産性を確保できる可能性があると私は感じています。
ハジメ:通勤時間や満員電車でのストレスがなくなっただけでも、精神的にはかなり楽ですね。
岡田:それも無駄を省いて有効に時間を使うという新たな働き方につながってきますね。昨今では、ミーティングもオンラインで行なっていますし、電子決済も進んできました。そうなると、通勤時間を考えて住むところを決めなくても良いのです。勤めている会社は東京だけど、住まいは北海道というのも可能になってくる。新型ウィルスによって、意図せず見直されることになった我が国の労働スタイルは、今後、健康や労働生産性に大きな効果を生むかもしれません。
ワカバ:今回の事態で、素早く対応できている会社とそうでない会社とに分かれている気がします。フレキシブルに対応できた会社は、やはり強いですよね。
岡田:新しいことにチャレンジできない企業は、時代の波に乗れず、企業そのものが目まぐるしく変化する社会に対して適応障害に陥り、労働生産性の向上どころか会社として機能不全になってしまいます。普段からアンテナを張って、いろいろな状況に応じてフレキシブルに動こうとしている会社は、このような非常事態の時には強いですね。
ハジメ:会社の底力が試されていると感じます。
岡田:今は,VUCAの時代と呼ばれています。VUCAとは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)という4つのワードの頭文字から取った言葉なのですが、先行き不透明で正解がない激動の時代とでも言いましょうか。その中で、多くの企業があらためて感じているのは、従業員がどんな状況でも働ける環境整備の必要性です。加えて、従業員が心身ともに健康であり、生産性の高い仕事が出来る人財育成の重要性です。在宅勤務でも、心身ともに健康でなければ生産性は上がりません。やはり、健康であってこそ、なのです。そして健康経営を進めていけば、働き方改革は自ずと進んで行くはずです。
*1:日本生産性本部:(OECD加盟国における労働生産性の国際比較2019より)
〈プロフィール〉
岡田邦夫
NPO法人健康経営研究会理事長
大阪府医師会健康スポーツ医学委員会委員長
平成26年度厚生労働省「ストレスチェック制度に関わる情報管理及び不利益取り扱いに関する検討会」委員をはじめとして各方面で幅広く委員を歴任。
主な著書に『健康経営のすすめ』(社会保険研究所)、『これからの人と企業を創る健康経営』(社会保険研究所)、『健康経営推進ガイドブック』(経団連出版)、『ストレスチェック導入・運用サクセスガイド』(メディカ出版)、『なぜ「健康経営」で会社が変わるのか』(共著)など多数