安全運行は至上命題。健康経営で変わる、バス会社の未来【前編】
乗客の命を預かるバスのドライバーは、健康であり続けなくてはならない。そんな信念のもと、いち早く健康経営に着手した中日臨海バス株式会社。健康経営推進の中心人物である常務取締役の荻野進さんと厚生課の樋口美惠子さんに、具体的にどのような取り組みを始めたのかを伺いました。
※「健康経営®」は特定非営利活動法人健康経営研究会の登録商標です。
【会社データ】
中日臨海バス株式会社
設立/1946年
従業員数/372名(2023年6月現在)
業界/バス業界
主な業務内容/一般貸切旅客自動車運送事業、車輌運行管理業務事業、普通自動車分解整備・板金塗装事業
健康経営をスタートした年/2016年度
管理栄養士を健康経営の責任者に抜擢
―まずは会社の全体像からお聞かせください。
荻野 当社はバス会社といっても路線バスではなく、関東、関西、東海の各エリアで貸切バスの運行に特化した事業を営んでいます。もともとは本社のある三重県四日市市で複数の事業を運営していたのですが、そのうちの一つに旅館業がありました。そこに宿泊していた建設会社のみなさんが「移動に困っている」という話を聞いた先代が、マイクロバスを購入して自ら工事現場への送迎を担ったのがバス事業の始まり。以降、駅から離れた場所に拠点を構える工場やメーカーなどの「企業送迎」を事業の軸としてきました。
樋口 社員数は現在、三重支店、大阪堺支店、京浜支店を合わせて380名ほど。そのうち乗務員(ドライバー)は約280名が活躍しています。健康経営に関しては内勤社員ももちろん対象になりますが、乗務員に対しての取り組みが主体となっています。
―乗務員のみなさんは、どのような健康的な課題を抱えているのでしょうか?
荻野 実は、乗務員の健康状態が起因となった事故は、規模の大小を問わず無数に発生しています。運転中に心筋梗塞を発症して、バスが制御不能になるといったニュースはたびたび報道されていますし、2012年に発生した関越自動車道高速バス居眠り運転事故などでは、乗務員には睡眠時無呼吸症候群(SAS)があったそうです。
樋口 関越の事故を教訓にバスにかかわる規制がいっそう厳しくなったのですが、2016年には軽井沢スキーバス転落事故が発生したのも業界が変わる転機となりました。
荻野 この事故を受けてバス乗務員の健康に対する規制がさらに厳格化されると予想したことから、弊社では業界に先駆けて健康経営に本格的に着手していくことにしました。2016年4月に健康経営の指揮を執る厚生課を設立するとともに、その責任者として樋口を雇用しました。
―樋口さんは管理栄養士です。なぜこの資格を持っている方を選んだのでしょうか?
荻野 よく聞かれるのですが、保育士、看護師、管理栄養士といった肩書を問わず、「本当にみんなを健康にしたい」という思いが重要だと私は考えています。社員の健康のために情熱を持って動ける人材を募集した結果、たまたま管理栄養士の肩書を持っていた樋口が合致したというわけです。
樋口 私自身、管理栄養士になりたいと思ったのは、健康な人に病気になってほしくないからです。以前はクリニックで20年ほど勤務して生活習慣病の患者さんと接していましたが、「病気になってからでは遅い」という気持ちを常々、抱えていました。健康な方を病気にさせない仕事ができる弊社は、まさに私が目指した場でした。
地道なコミュニケーションが実り、健康への意識が高まる
―樋口さんご自身は、入社してどのような取り組みから始めましたか?
樋口 最初に始めたのは、社員の健康診断の結果を再確認すること。その上で脳梗塞や心筋梗塞につながるリスクを“見える化”するべく、健康の通知書である『ヘルスケア通信』を発行して、一人ひとりの健康上のリスクをいくつかの階層に分けました。健康診断の結果を理解して運動や食事制限を行う方もいますが、そのまま放置してしまう方も少なくありません。『ヘルスケア通信』を配布しながら、各自に合わせて健康への取り組みを促すことで、改善するきっかけを作るのが狙いでした。
荻野 正直、最初は反発だらけ。「なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ!」という声が圧倒的多数でした。それでも樋口が根気よく説得してくれて、ようやく変化したのは1年くらい後でしたかね。
樋口 もっとかかっているかもしれないですね(笑)。
荻野 地道な努力を重ねた結果、現在は樋口に気軽に相談できる関係になりました。
―全社員との面談も行っているとも聞きました。
樋口 何度か面談を重ねていくうちに、社員の栄養や健康への理解も徐々に深まっていきました。「時間がないと思うけど、ちょっとだけでも歩こうよ」といったアドバイスを送った後、次回の面談で「最近、歩いてるんだ」といった言葉が出てくるようになったのは嬉しかったですね。
荻野 企業送迎を行っている弊社では朝と晩が忙しく、昼間に空き時間が発生します。以前は仮眠室で寝ていた人たちが、トレーニングウェアに着替えてウォーキングに出かけるという風景が見受けられるようになり、明らかに企業文化が変化しましたね。
樋口 ウォーキングと言えば、コロナ禍まではウォーキング大会に積極的に参加していました。
荻野 社長ら経営陣もエントリーしており、普段はなかなか会話もできない者同士が交流を温めていくことができました。
樋口 毎月、健康経営を知ってもらうために『厚生課だより』を発刊しているのですが、そこで経営陣の言葉を発信すると、面談の際、「上の人も頑張っているんだし、自分たちも頑張らなきゃ」という前向きな言葉を聞くことがあります。経営陣が健康経営に積極的なのは、社員全体のモチベーションを上げるのに繋がっていますね。
荻野 『厚生課だより』は基本的にはご家族向けの情報発信媒体なんです。乗務員の場合、運転前には必ずアルコール検査を受けるのですが、前の晩にご家族が「お父さん、飲み過ぎると明日、アルコール出ちゃうよ」といった忠告をしてもらえるきっかけにもなっています。ご家族の協力を含めての健康経営だと改めて感じています。
健康経営が、採用面でもプラスの効果を発揮
―食事面のサポートにも余念がないそうですね。
樋口 企業送迎を行う乗務員の場合、朝晩が忙しくなりますので、規則正しい食事が摂りづらいという問題がありました。トイレが心配で、運行前は飲まず食わずという人もいます。ようやく摂った食事も手軽なものばかりとか。これでは健康の維持もままなりませんから、せめて食物繊維を摂れるようにしようと、大手コンビニの宅配サービスを導入して、ひじきの煮物やコールスローサラダなどを社内に置くようにしました。
荻野 日頃、簡単な食事で済ませている社員から「お惣菜なんか買っている暇はない」と返ってきたのが導入のきっかけでした。会社の福利厚生の一環ですので、社員負担は半額のみ。
―乗務員さんには脳のMRIとSASの検査を定期的に行い、新しく入社する方にも検査を義務付けていると聞きました。
樋口 入社時の初任講習で健康に関する取り組みについて説明していくのですが、毎回、「ウチは他の会社と比べると、かなり厳しく(健康状態を)見ていますよ」と話しています。最近、入社された方はそのことを知っており、「ここまで厳しくやってくれた方がありがたい」というような言葉も聞こえます。
荻野 「健康経営を推進している会社だから応募した」という求職者の声も増えており、採用上にも効果があるのを実感しています。人口減少が進む中では、人材の確保は弊社にとっては至上命題ですので、とても嬉しいことですね。
【後編】に続きます。
【プロフィール】
荻野進さん(常務取締役)
証券会社などを経て、1996年中日臨海バス株式会社に入社。データ管理、労務、人事、運行などの改革を手掛ける。健康経営などの全社的な取り組みを進めるべく、各地の拠点をまわり続けている。
樋口美惠子さん(厚生課 管理栄養士)
保育園や委託給食会社などで管理栄養士として勤務した後、クリニックで生活習慣病の患者に対しての指導を行っていた。2016年に中日臨海バス株式会社に入社してからは社員たちの健康管理に勤しんでいる。